
昭和四十年代
佐藤家には置き薬の箱が七、八個置いてあった。
なかには 桐の素晴らしい箱もあったが、
大抵は、派手な色使いの
ボール紙で作られた箱だった。
家へやって来る薬屋さんは
奈良県の人が多かったと聞いた。
皆、同じような年代の人で
皆、同じような恰好で
そして皆、同じように自転車に
大きな つづらをのせて
やって来た。
家で応対するのは
僕のおばあちゃんでした。
「ちわー、薬屋でーす。おばあちゃん、元気?」
と、薬屋さんがつづらをかかえて入ってくると
「遠いところを よう、きてちょうたなも。」
と、ねぎらい、
薬屋さんを座敷に通して
お茶を出していた。
そしていつも
「おみゃあさんとこの 薬の箱は
どれだったかなも? 」
と
とぼけて尋ねていた。
「うちのは、だるまの絵が描いてある箱だわ。」
おばあちゃんは
仏壇の横に積んである埃の
かぶった薬の箱をひっくり返して
だるまの箱を捜していた。
薬屋さんは、
忘れた頃にやって来た。
薬屋さんは
箱の中を確認して
うちが使った薬を調べて
補充していき
その代金をもらっていった。
お茶を飲みながら
世間話を二、三十分してから
帰って行くのが常であった。
薬屋さんがやってくると
僕もおばあちゃんの隣に座って
薬屋さんの
つづらの中を覗いていた。
まだ、のんびりとした時代でした。
つづらには色んな薬が入っていました。
僕が小学校低学年だった
昭和三十九年頃には
薬屋さんから
四角い紙風船やコマを
もらっていたことを
憶えています。
薬のつづらに入っていたため
紙風船は膨らませる時
薬の匂いがぷーんとしました。
その頃は白黒テレビでした。
穂積ぺぺがコルゲンコーワのCMをしていた。
「おめー、へそないんだろー。」
リポビタンDは
王貞治が宣伝していた。
確か、「ファイトで行こう。リポビタン デー」
近所の
薬局の店頭には
象のサトちゃんが
いました。
僕は
薬局の前を通り過ぎるときは
いつも
サトちゃんの頭を
思いっきり
叩いていました。
それでは、またな。